2019-11-27 第200回国会 衆議院 文部科学委員会 第10号
一番大切なのは、受験生の皆さんの安心した受験体制が組めるかどうかだ、この一点に限ると思いますので、先生の御指摘を重く受けとめ、問題を共有しながら全力で取り組んでまいりたいと思います。 〔馳委員長代理退席、委員長着席〕
一番大切なのは、受験生の皆さんの安心した受験体制が組めるかどうかだ、この一点に限ると思いますので、先生の御指摘を重く受けとめ、問題を共有しながら全力で取り組んでまいりたいと思います。 〔馳委員長代理退席、委員長着席〕
英語認定試験については、公平公正な受験体制の整備や成績評価などに関しさまざまな懸念があるということを理由としておりますが、文部科学省といたしましては、こういう民間試験の活用に係る公正性に関しましては、各試験のスコアとCEFRとの対応関係について、専門家による検証を実施し、文部科学省の作業部会において、そのプロセスが適切であるということを確認をしております。
なお、民間試験を活用しないとしている二大学でございますが、公平公正な受験体制の整備等に関する懸念が解消されていないことなどを理由としているものでございます。
今までの公教育の中で、一般的に、大学の受験体制、これからいろいろ変わっていくと思いますが、それに鑑みて、もう塾に行っていないと受験がなかなか達成できないというようなそういう風潮がかなりある中で、塾に行くという子供たちの割合というのはかなり多いのは事実です。そういう中で、公教育が塾はけしからぬというような、ある意味ではお互いに否定し合うようなそういう関係はあったと思うんです。
では、実際にどういった受験体制といいますか学習環境に置かれているのかというところが、非常に我々には見えてきません、話を伺ったり見学させていただいても。実際、通年で、そして、小中高といった流れでどういった学習体制、進路指導をされているのか、お聞かせいただけますでしょうか。
高校という教育の機関と資格取得に向けた受験体制の両立、大変難しいと思いますけれども、文科省、この平成二十一年度から始まりました福祉系高校の新しいカリキュラムに関しまして報告をいただきたいと思います。
それは、今の受験体制が、特に進学を中心に取っている学校にとっては大変厳しい、その中を突破すればいいんでしょうけれども、そういう学校へは人が来なくなるというようなことが出てきますし、それはまた、学校というよりも、保護者がそれをかなり希望しておられるというその辺のつらさが大分ございます。
受験体制をつくって、勉強だけをすればいい、お子さんが大きくなったらいい高校に入り、いい大学に入って、いい会社に勤めてもらいたいという家庭の願い、そういうものも全部作用して、今のような社会になっているわけですよね。 それで、中身の問題に入りますけれども、この法案の中で、事業主に行動計画の策定を義務づけるということが今回の大きな内容の一つとなっております。
○本岡昭次君 だから、そういうものがずっと出てきて、ガイドラインというんですか、受け入れ学校の実態、対象者をだれにするのかとか、どういうふうにして選ぶのかというふうな一つのガイドラインのようなものができて、そして、これなら送り出していく高等学校側も、現状の高等学校教育に混乱が起こったり、そういう何か受験体制がさらに新しい形で激化するというふうにはならないと。
十四期では、特定の分野に特に能力の伸長の著しい者について飛び入学ということは考えられるということだったわけでありまして、こういうふうに言っているのですね、一分野の天賦の才があり過ぎて、全教科の平均的能力を試される現在の受験体制に不向きな者に限って適用される救済措置だと。非常に、ある面での厳格な定義づけでされているというふうに思います。
それができれば、おもしろいことに、これが変われば今までのさっき言った受験体制というのが変わる可能性がある。
つまり、今、日本は高校にしても大学受験なんかも非常に大変である、難しい、その受験体制が変わらないのに、例えば授業が三割カットになっちゃって教えてもらえないとなると、余計塾なんかに行って教えてもらわなきゃならない、大変だ、こういう声もあるようでございますけれども、この辺について大臣のお考えを伺いたいと思います。
特に受験体制は、私はもり早急に改革していただくべきでなかろうかと思います。以上で終わります。どうもありがとうございました。
○福本潤一君 きょうはもう採決の日ですからあれですが、私も余り裏を勘ぐるタイプではないので素直なタイプですが、文部省の共通一次のときも、共通一次にしたら受験戦争がこれで緩和されるというところに、ぽっと共通一次、新しい受験体制をやるよと言ったら、急に何か受験戦争がおさまるような錯覚にとらわれた高校の人たちがぱっと乗っちゃった。
過度の教育への期待といいますか、そういう受験体制に即した期待が一方では圧力としてある限り、なかなかシフトを急に変えることは難しいというふうには思われますけれども、しかしそうは言いながらも一方においては、やはり本当に我が子のためにどういう教育が望ましいか、この子が自分の力を発揮していくにはどういう学校が望ましいかという形での選択できる選択肢を制度的にも多様に用意していくということが従来の非常に画一化された
最初に私ちょっと自分の考えを述べさせていただきますと、今回の中高一貫学校の導入に関しましてもさまざまな観点があると思いますけれども、受験体制、受験期の厳しさがなくなるということが一つのメリットである、こういうふうによく言われるわけであります。しかし私は、この点については問題を取り違えているのではないかなと思うわけです。
宿題、ホームワーク、また塾通いという今の受験体制の中では、ある程度高学年から中学、高校へ行くぐらいの子がそういうボランティアに触れるとか、職業にインターンシップみたいな形で接するとか、そういうチャンスというのは、なかなか今の日本の社会ですとチャンスが少ない。
また、子供の権利保障にとっていろんな影響を与えている受験体制あるいは競争についても報告されていない。高校入試制度の維持の理由は一体あるのかというような問題があります。 体罰の事件数についても、死に至るような体罰事件が起こっている、その原因等についても全く触れられていない。
しかし、大学の法学教育の目的と専門的な法曹になる資格を取るということとはまたそれなりの違いがありますから、一定の差はあることはありますけれども、今の司法試験の受験体制はある意味ではちょっと異常になって、それが大学の法学教育をゆがめている面がないだろうか。
今、司法試験予備校中心の受験体制というのが隆盛といいますか全盛をきわめておりまして、極めて異様な受験環境になっている。この点、昔から指摘されているわけですけれども、なかなかいろいろな議論があるわけであります。
ですから、いわゆる知育教育に偏向してしまった今の受験体制とかいろいろな問題点を、うみを出しながら、そういういわゆる、学校に行って楽しかった、自然を通して将来こういう方向で生きていくんだという夢を与えるような社会、また学校教育であらねばいけないと思うのです。ですから、その点、もう今までの考えをすべて枠を取り払って、自由な発想の中から日本のあしたの教育というものを考えていただきたいと思うのです。